どうも、偽善者です。
僕は当然ながら聖人君子どころか、特に品行方正なタイプでもありません。むしろ人間的には相当良くない方の部類です。だってこんな姑息なブログを書いてるくらいですから。
そして、これを読んだらますます「コイツ、偽善者ぶりやがって」って言われるかもしれません。やりもしない綺麗事を書いている大嘘つきだと思われるでしょう。
それでも敢えて言います。
僕は、グリーンで自分がパターを打つまでの時間や打ち終わった後、また、他の人が打つ準備をしている間は、基本的にグリーン上のピッチマーク(ボールが落ちた跡)を探して直すようにしています。自分がつけた跡だけではありません。探して目に止まった跡を、時間が許す限りすべてです。
当然、他の人のパッティングは静止してちゃんと見ていますよ。ナイスインの声がけも忘れていません。
グリーンはクラブのすべてを映す鏡
グリーンが美しいかどうかは、そのゴルフ場が良いゴルフ場かどうか・・・それはグリーンキーパーやメンテナンスのスタッフが足りているのか、良い人材なのかどうかなどの経営状態はもちろん、ゴルフとそのゴルフ場を本当に愛している良質なメンバー(会員)が集まったクラブかどうか。それからキャディーもその職場に愛着と感謝を持って働けているのかといったことがわかる、とても良い指標です。
朝一番のグリーンは、ほとんどのゴルフ場がピッチマークが一つもない、美しい状態にメンテナンスされています。これは最低限、当然のことです。
それが時間が経つにつれ、ホールアウトしていった組が増えていくほどにピッチマークも増えていくのは、マナーの悪い、質の悪いゴルファーが多い証拠。そして、もしキャディー付きでなければプレーできないゴルフ場がそんなことになっているのだったら、それはキャディー達が自分の職場を愛せていない証拠でもあります。キャディーのせいではありません。キャディーの働くモチベーションを上げられないゴルフ場の経営陣とメンバーの責任です。
あなたの通うゴルフ場のグリーンはどうですか?
「グリーンに上がったら1人2個ずつのピッチマーク直し」を義務化します。
僕はゴルフを始める時に「グリーンに上がったら必ず2つ以上のピッチマークを直せ。」と教えられました。プレーヤー全員がそうしていたら、グリーンが荒れることは絶対にありません。それを教わった時は全くゴルフを好きになれそうな気がしなかったけれど、なぜかその言葉が腑に落ちて。最初は2個だけ直す習慣だった気がします。誰だったかなあ、これを教えてくれたのは。きっと素晴らしいゴルファーだったのでしょう。
今、僕がひたすらピッチマークを直すのには大きく二つの理由があります。
まず一番の理由は、単に「その方がパットが入りそうな気がするから」です。何の根拠もない・・・ただゴルフの神様みたいなもんがいて、グリーンを大切にする気持ちが跳ね返って、グリーンも僕のことを大切にしてくれるのではないか・・・ええ、宗教です。
もう一つは、他の人のルーティンにイライラせずに済むことです。
パターの打ち方にはセオリーがないと言われるように、パッティングの時のクセはショット以上に人それぞれ。
何度も何度も素振りをしてみたり、ボールの向こう側にパターヘッドを置いてみたり、睡眠を疑うほど固まってみたり、とにかく時間をかける人がいますよね。(そのコミカルな動き、必要かな?)と、見てたら思わず吹き出しそうになってしまう人も少なくないです。
余談ですが、たまに一緒にラウンドすることがある、大事なパットの時には必ずボールにキスするルーティンを修得したジジイがいます。そのボールを毎ホール「拭いてくれ」と手渡しされるキャディーの気持ちを考えたことあるんでしょうか。ボールに願いを込めたい気持ちもわかるけど、その気持ちをグリーンにも向けてあげたらいいのに。まずは自分のピッチマークを直して、グリーンにキスして来い。
ラインを読むのに時間をかける人、誰がどう見てもわかりやすいラインでもいちいちキャディーに確認する人、どんな距離でも必ずカップの反対側まで行く人・・・性格が良くない僕が、見ていて心が荒れそうなシーンを見ることなく、地面を見つめてピッチマークを直していればグリーンと1対1で対話しながら待てるのです。ええ、もちろんグリーンの声が聴こえてきたことは一度もありません。
それでも、探してもピッチマークが見つからなくって直しどころがない日には、いつも以上にグリーンが喜んでいる気がして、パターを自信持って打てている感じがします。宗教です。
とにかく、グリーンが汚いのは嫌なんですよね。ゴルフ場の規則に採用して「グリーンに乗ったら必ずピッチマークを一人2個ずつ直すこと」ってカートにでも貼っておいてくれたらいいのに。マナーじゃなくってルールで。
言うまでもなく、僕のその行動は美しく見てくれている人も多いと思いますが、鼻につく人には物凄く鼻につくのでしょう。「さすが、マナーの良い人は違うね」なんて茶化してくる人もいます。
正直、これは本当にモテようと思ってやっていることではありません。それでも、(そこまでして良く見られたいか)って思っている人もいるでしょう。
ですが、これも続けているうちにやらずにはいられなくなってきました。だって、宗教ですから笑。
やらずにはいられなくなった頃、それが偽善ではなくアイツの人柄なんだと理解者が増え、本当に愛されてくるようになるのです。
あなたにもおすすめしますよ。だって美しいでしょ?